新潟競馬場のナゾ

これは騎手Eの実際の体験に基づく、新潟競馬場のちょっとゾッとするものの、どこか心和む話だ。

夏の時期に開催が集中している新潟競馬場は、騎手たちからもおおむね評判がいい。それは日本海で獲れる新鮮な魚介類が、調整ルームでの食事どきに供されるからだ。拘束時間の長い騎手たちにとって、「おいしい食事」はかなり重要な要素なのである。
さらに新潟競馬場は、調整ルームで働いているパートのおばちゃんたちがとても気さくで親切。まるで息子たちの世話をしてくれるように温かく接してく
れるそうだ。おかげで騎手たちは気分良く騎乗に専念できるのである。
夏は新潟専門という騎手になると、すっかりおばちゃんたちとも仲良くなって、開催が始まると「おばちゃん、またよろしくね」とお土産を用意してきたりもするそうだ。

2002年のことだった。
5月の開催でも新潟に騎乗に来た騎手Eは、いままでもずっと親切にしてもらっていたおばちゃんから残念な話を聞く。
それはおばちゃんが騎手ルーム務めのパートを辞めるという話だった。
「ずっとここでお世話になってたけど、今度やめることになったんよ」「え!辞めるんですか?なんで?」
とても気のつくおばちゃん。E騎手にしてみても彼女が辞めてしまうのは残念でならなかった。辞める理由を聞くのも当然である。でもおばちゃんは、ちょっと困った顔になって理由をいったという。「新潟市内の古町で息子が寿司屋をやっていてね。そこで人手が足りないから手伝いに来いっていわれたのよ」
息子さんの店のお手伝いですか。それならば仕方ないです。おばちゃん、いままでありがとう。お世話になりました。そうだ。今度、新潟に来るときには時間をみつけてそのお寿司屋さんに食べにいかせてもらいますよ。E騎手はそんな約束をして彼女とお別れをした。
もちろんほかにも彼女にいろいろと世話になった騎手たちも各々別れの言葉をかわしたそうだ。

その年、夏本番の開催になった頃。
騎手Eは彼女との約束を果たそうと、ほかの若手に「あのおばちゃんの息子さんの店に寿司食べにいこうぜ!」と誘いをかけた。
「あっ、いいっすね」と若手騎手たち3人が同意したので、その夜タクシーを飛ばして市内へ向かった。聞いていた名前の寿司屋を見つけ、タクシーを降りて暖簾をくぐる。店内はまだガランとしていたが、カウンターのなかでは息子さんらしき人が寿司を握っている。でも店内にあのおばちゃんの姿はない。
070
「おばちゃん、休みかな……?」
Eは一瞬「連絡してから来ればよかったな」とも思った。
お茶を持ってきてくれた店員さんに「自分たちはJRAの騎手で、世話になったおばちゃんに会いにきた」ことを告げた。
しかしなんか空気がヘンだ。
普通であれば「ああ、それはわざわざすいません」といいながら息子さんらしき店主がにこやかに挨拶してくれて、船盛あたりがドーンとでてくるような
シーンだ。奥からはエプロン姿のおばちゃんが出てきて「あら?、あんたら本当にきてくれたのね-」と再会を祝う感じになるはずだった。
ところが店主は、ちょっと困り顔になっている。
「どうしちゃったんですかね?」
若手Mが重?い空気を察した。
店主がゆっくりとテーブルにやってきて頭を下げた。
「生前は母がお世話になったそうで……」
えっ・すぐには言葉の意味が飲み込めなかった。意味がわからなかった。
生前?
おばちやんが辞めたのはほんの2カ月前の話だ。いやいや、僕たちはおばちゃんがここの店に働いているっていうから会いにきたのだ。なのに生前って?
あのおばちゃんが死んでしまったというのか?
その後、冷静になって話を聞くと、おばちゃんは1カ月ほど前に一哩烈で亡くなっていたのだそうだ。おばちゃんがパートを辞める理由をいいづらそうにし
ていたのは、そんな事情があってのことだったのだ。寿司は食べたが、味はしなかった。4人は気分が重くなり、帰りのタクシーのなかは誰も口をきかなかった。

1年後。
再び新潟の地へやってきたE騎手。部屋に荷物を置いて、さあ準備だと思っていたそのとき、信じられない光景にでくわす。
!

なんと、あの死ん麓はすのおば富やんが廊下の突き当庭りに立っているではないか。

間違いない。おばちゃんだ。
でも以前とは制服が違う。だけど顔は間違いない。掃除をする格好で廊下の隅にたってこちらを見ているのだ。目があったと思った次の瞬間、彼女は小さく会釈をしてすっと消えるように角を曲がってしまった。あまりのことに、その場に立ちすくんでしまったE騎手。でも、見たのは間違いなく彼女であると
確信していた。不思議と恐くもなかった。
「おばちゃん、わざわざ僕に挨拶しにきてくれたんですかね.…:」
一応、調整ルームのなかで働く人たちのなかで、あのおばちゃんに似ている
人がいるのではないかと探したが、やはりそんな人もいなかった。
その夏、E騎手は新潟競馬場で大活躍をした。
彼はいまでも、会釈をしてくれたのときの彼女の笑顔が忘れられないそうだ。

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